算命学では、「精神」と「現実(肉体)」という表現をよくします。この世に生きる人間は現実です。しかし精神も伴っているからこそ人間なのです。機械じゃないですからね・・・。
精神は北から南に流れ、現実は東から西へと向かいます。精神は親から子、子から孫へと伝わるもの。親はご先祖様の代表で、当然自分よりも目上の人達。そして目下は自分よりも南に位置する人達。南に向かえば向かう程、精神は未熟な雑念の世界、あるいは大衆の世界となります。
人間はこの世に生き、年齢を重ね肉体が衰えるにつれ精神レベルが上がり、穏やかな世界へと向かうのが理想的。だから人間の肉体は死に至っても、精神は穏やかな場所に辿り着けるように、北を枕にして安置されるのです。
お経にもありますよね。「南無阿弥陀仏」と・・・。南の雑念のない仏様。そこに近づくために・・・。
ということは、お墓も北を背にして南を向く、あるいは現実は西に向かいますから、西を背にして東を向くのが当り前となるのです。だから北向きのお墓を建てると、そこで途絶えてしまうと昔から言われているのです。
この世に生きている人間が、目上を見下している姿となり、流れが逆行するため、先には進めないのです。当然未来に向かう人間が、この世に生まれてこない形となります。
ましてや、永代供養塔を北向きに建てるなんて、それはお寺様自身の方向性を示すもの。永代供養塔に納められたご先祖様にも子孫はいます。別の形で初代としてまた新たな家系を発展させる人達にまで影響を及ぼします。
北を背にしたご本尊様と向き合うように永代供養塔を建てることができてと満足されているご住職様もいますが・・・。この世に生きている人間が一番下座にいるはず、その人間がご本尊様にお尻を向けて、永代供養塔を見下しながらお参りするのはいかがなものでしょう。しかもそこには「南無○○○」とありましたが、「北無○○○」となるのでは・・・。ご先祖様も安らげませんね・・・。
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